ありのまま

このたび、沢山の共通する仲間を繋げていてくれた友人を亡くして、また再び仲間を引き合わせてくれた話はしましたね。

初七日が過ぎ、徐々に懐かしい再会や、メールでのやり取りを深め、みんなが深い悲しみの中にいることを感じました。みんながみんなのことを心配し、思いやっていた。ひとえにそれは友人の人柄がなす、タペストリーのようなものなのだと理解できました。そんな濃い人生、全速力であなたは生き抜いたのですね。肉体が悲鳴を上げたのですね。気づかなくてごめんなさい。

昨年の誕生日、私に初めて「お誕生日おめでとう」というメールが届いた。ちょっと驚きの出来事。10代のやんちゃ仲間だった頃だったら別だけど(写真のマンディーもやんちゃ仲間)、ひとつの時代を築き上げた人となった友人から、私みたいな中途半端な人間に個人的に連絡が来るなんて、、って感じ。
今思えば、思い出してくれていたのかなと思った。
息子が3歳の時、孤独に誕生日を迎え、25歳だった私は友人に泣きながら電話したんです。
「寂しいよ~」って。そしたら間髪いれず「アンタ!何一人でいんのよ~。すぐタクシーでお店にきなさい!馬鹿!」っていってくれた。
んで、ケーキを用意して待っていてくれた。その時私は思っていた。来年からは一人でも大丈夫だって。一人じゃないんだって。

その後、てかここ2,3年。私の口癖は「死にたい」だったんです(衝撃的告白ですわ)。
でも友人に一喝されました。「あんたさぁ、前も死にたいとか言ってたけど、そんなに死にたいなら人前で言わず黙って死ねよ」って。私と友人の関係を知らなければ、ひどい会話に聞こえるかもしれない。でもね、間違いなく目を覚ましましたよ。そっから今だもん。

年下音友のいっくんも「のぼりさん、最近死にたいって言わなくなったね」と笑います。
あまのじゃく性質を見破っての一喝。「死ね」と言われると、「生きる!!」となるんです、私。
根っからの能天気な私のことをいつも近くて遠い場所から見ててくれた。
プニュが死んだ時も、母が死んだ時も、息子が大学落ちた時も、札幌から出戻った時も。
そして、再デビューした時も、息子が小学生入学してスーツ買った日も。
なんであんなに友人のお店に通ったかって、友人の素敵な笑顔が見たかったから。
最近はやんちゃ時代の話を懐かしく話してたのに。「森下が44?」って。「相変わらずね」って。
絶対泣かないやなGも泣いてた。あっ、やなGってのは、友人に出会わせてくれた人。ついでに元旦那も(これは残念な結果に)。

現実的にもうみんなに何が起きてもおかしくない世代に突入したのかもしれない。でもね、わかったんだ~、支えあえるって。写真のマンディーも凄い抱きしめてくれたし、泣くの我慢してたけど堪え切れなくなった私をかおりちゃんが抱きとめてくれたし、私もみんなを抱きしめたい。友人のお陰で、みんなを愛していることに気づいた。疎遠になっていようが、心のまま、ありのまま、私のまま、いつでも会いに行く。それがこれからの生き方。

私も友人のように信念を貫く!
どうか、応援してください、お願いいたします。
私も、応援しています。

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