杖ことばを読んで

モンスターペアレントという言葉を初めて聞いたのはいつだったでしょう。
ただ間違いなく思うことは私の幼少、青年期にかけて常識だったことが今や非常識にもなりかねない世の中に変わりつつあるということ。

例えば、愛は地球を救うでおなじみの24時間テレビがディスられたり、世間の目という存在がとても大きな媒体になっていたり、みんな平等にたった1度の人生を生きる、人間初体験者であるということを忘れてしまっているように思う。
24時間テレビに関しては、襟を正す、引き締める意味、自分がどんなに恵まれているのかを見直す番組として、永遠にやって欲しいです。

恐らくそれは、核家族化が著しく進んだ昭和30年代以降だと思います。
実際、私の母の弟は高校の教師で、惚れこんで結婚したお嫁さんは、長男であるために、プロポーズの返事として、「一生あなたの親とは暮らさない」を条件に突きつけてきたと母から聞きました。
核家族とは非常にドメスティックです。
その沿線上に学校があるとしたら、そこもドメスティック・スクールです。
すべてうちうちで済ませようとする、若しくは解決しちゃうみたいな。
そこにバイオレンスやハラスメントをつけちゃって、、、
でもって、外の世界はもっと恐ろしい、生易しい世界ではないと親、教師が刷り込む。
そういった見えない塀に囲まれた幼少時代を過ごした子供だちが今の40代、30代です。
彼らがもっとも苦手とすることは、群れないことです。
アウトローなどできっこないのです(結構強気)。

かくいう私は核家族経験は子供時代6年、結婚時代4年と乏しく、母とはほとんど友達のような感覚で、祖母が私の人生計画の相談相手でした。
ですので、家族縛りがこの世で一番嫌いなことです。
そもそも、朝から晩まで働きづめの祖母は大正生まれのきつい性格の人だと周りに言われていたようですが、私にとってはその厳しさも一つの勉強でした。
山で育った私はよく舗装前の砂利道で転び、膝がえぐれてしまっていました。
そんなときも慌てず騒がず、しゃんしゃん応急手当をしてくれました。
母からの愛情が薄かったせいか、必ずおねしょをしていた私を叱りもせず、ただ時を待つかのように認めていてくれたのも祖母でした。
祖母の愛情は見た目薄く、奥の深いものだったと今になって感じます。
でも本当の親からの愛情ほど子供の心を強くするものはないそうです(経験がないのでわかりませんが)。
私には愛情が完全に欠如された成長期でしたので、今だ愛し方愛され方が分かりません。頑張ってますけれど・・・

気まぐれに愛されるより、そういう祖母に私は全てをゆだねた経験を持っていて、今はとても良かったと感じています。
それは祖母が浄土真宗の檀家さんだったことです。
宗教の話は別として、地域の集まり、お説教、そして、先祖を敬うという心を教えて頂きました。
ですので、祖母を失ってからは50歳くらい年上の方の言葉を有難くいただいております。
同年代の方に対してはどこか同時代を生きる仲間という意識で、相談事などはせず、ただ心の不安を聞いてもらったりしています。

前置きは長くなりましたが、そこで行き着いたのが五木寛之氏の書く文章だったのです。
理解不能な専門的な言葉ばかりではなく、それを上手に噛み砕いて、歌の歌詞のように優しい言葉に変換してくださるのです。
また、常日頃心の中で思っていたことと同じ意見、言葉を多く見つけます。
ですので、より親近感が湧くのだと思います。

私は本を読まない人の言葉を信じません。
心の通りに話せる人が少ないのはそのせいだと信じています。
受身で見聞きしたものばかりに情報を任せて、自分からは選ばない。

先日気づいたことなのですが、インターネットが狭いだ広いだ言い合っているサイトを見ました。
いやいやそういうことではなく、インターネットを利用する人間の度量によって情報量は全く違うんですよってことです。ネットの可能性は否定しませんが、自分から求める人と、受身の人の閲覧履歴を見ればそうとう面白い結果があるかもしれません。
例えば、自由時間にインターネットで何をしてもいいとなった時、どうするかっていうことと、知っている言葉の量で、同じ勉強の結果の探し方も大いに変わってくると思うのです。
自分に優しい人はリラックスの為に楽な作業をするでしょうし、ストイックな人は、何で?何で?とどんどん情報のソースを求めて、最終的に最初とは違う場所に居ることもあるでしょう。

話しを戻します。
五木寛之氏と全く同じ意見だったので、驚いた一節を引用させて頂きます。

-以下引用-
「子孫のために美田を残さず」と言うのは、いい言葉だと思います。
美田どころか、子孫さえ残す必要はないのではないか。
人間はしょせん地球という星の寄生虫にすぎません。その地球を食い荒らして、ボロボロにしてしまった罪ある存在なのです。

この一節を読んだのは電車の中でしたが、「ぷっ」と吹いてしまいました。
私よりも30以上年上の方が何の迷いもないかのように言い放つ、私との同意見。
肩の力がスーッと抜けたのです。
もちろん誰かの本を読んで、翌日ビックリするほど前向きになったことは一度もありません。
じわじわ来るんです、五木氏の本は。

とにかく、あまり若いうちから悟ったような人は受け付けられませんが、80を眼前に迎え、正直に丁寧に語りかけるように本にしてくださる五木氏に長生きして頂きたいと思うのはご迷惑だとは存じますが、こんなにフラットに物事をみられる人はそうそういらっしゃりませんので、周りの友人の言葉だけでは辛いと思われる方は是非手にとっていただきたい本です。

文春文庫
杖ことば/五木寛之著

コメント

人気の投稿