映画「ソ-デャルネットワーク」を観て(2度観)

今「ソーシャルネットワーク」という映画を再見しました。
「ソーシャルネットワーク」はFacebookを創設したマーク・ザッカーバーグを映画化したものです。
ネットを活動の場にしてからもう10年が経ちます。
早いもんです。
映画への感想と利用者としての想いが重なりました。
ネットは当初、全ての人に発言権が与えられ、匿名で言いたい放題、段々秩序が生まれてきたと思ったら、いじめのツール、プライバシー壊滅とあんまり良いことが無いように思っていました。
その中で、Facebookは会いたくて今どうしてるんだろう?って人に会えることが恐ろしいほどの確率で叶うというツールになっちゃいましたよね。当初の利用方法とは随分異なるようですが(映画より)。
でもね、一部の縁が途切れた人とはそれなりに事情があったわけで、それ忘れて、20数年ぶりだから水に流そうみたいな空気があって、それはそうなんだけれど、やはり実際に会って話して分かる人間の温度みたいなものは完全に喪失している気がしています、というか忘れさせられると思う、だって20数年ぶりに会うんだもん。
チャットでの人物像と実際に話したときの人物像がかけ離れていることが少なくありません。
もっと言うとFacebookでの書き込みだけで私と言う人間を判断される人とかいます。
ですから最近は少し距離を置いています。

映画の中でもザッカーバーグ氏の人間性を表現している部分があり、それはとても憧れるような、尊敬できるような姿ではなく(あくまでも映画の中)本人もそれに悩んでる様子が覗えます。
自分の人間性について、嫌われることをあえて望んでいる人っているのかは分からないけれど、そんな例外を除いて、その他例外なく、たった一人で生きている人はいない訳で、結婚、友情、親子、親戚、近所付き合い、仕事における人間形成が人生を作ってると言っても過言ではないのに、SNSのせいでそれがリアルじゃなくなってきているように思うのです。
私も実際会ったことも無い方とSNSで普通に話をしています。
でも時々この人誰?って正直思っています。そんなの普通じゃないし、会ったことが無いという前提をはずして話す事はできないです。

この映画を観て、「成功」と「人となり」の二つにテーマが絞られていることがわかります。
「成功」については好きなこと、得意なことを夢中で(動機は失恋)手段を選ばずやった結果、何本もの訴訟を持ちながらも世界一のSNSを生み出し、世界最年少億万長者になった。
「人となり」はあまりにも正直で夢に向かってのビジョンが逸脱していたせいで、悪気無く感謝の気持ちが当時は欠如していて、関わった人の心を、生活を傷つけるけれど、Facebookを作った最初の3人に対しての愛情は深い。他の描写が無かったので、映画で表現できる部分はこのくらいです。
印象的なのは、最後冒頭で振られた彼女にフレンドリクエストして承認されるのを10秒ごとにブラウザの更新しているシーンです。
電車内で片時も携帯から目を離さない人となんら変わりない。パソコンに目的を置くと、自分以外の周りの世界をシャットアウトしてしまう怖さがある。
かくいう私も、パソコンで音楽を制作していると、ヘッドフォンの外で起きていることが分からなくなる。
ネットは上手に使えばとても便利だとは思うけれど、同じ行為を実際に自分の身体で動いて出す結果に比べると、結果を実際に体感することが出来るのに対して、ネットで起きたことはあくまでも他者との関わりがアバウトなので、とてもつもなく薄っぺらいのです。

結論:人とは会って話すべき。
音楽は聴いて頂いて買ってもらうべき。

と、思います。

前回書いた(打った?)マーケティングについて、人騙しのような戦略ではなく、自分がやりたい音楽が持っている周波数と同じ何かを持っている人を探すというマーケティングをしていきたいと思う。ソウルメイト?みたいなファンの方と一生、月に1度羽目をはずすライブとかで生きていくみたいな。そんな形が5年後くらいに出来上がってたらそれもう本当に素敵なことだわ。

さて、曲作ります。

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