朝、大いに語る

音楽のこれから、シーンに対しての記事を読み、我に置き換え考えている。
なんにせよ、私の場合は将来の夢としての音楽ではないから、ムーヴメントとかよりも、奥深さ、追求、まだ見つけられていないもの探し、なんかが重要なわけで。
でも、それこそ90年代後半の恵まれた音楽業界に身を置いていたわけだから、なんとなくその頃の居心地の良さとか、音楽ってカッコいいみたいなノリを知っちゃってる。
だから、めんどくさいのさ。

2年くらい前にそういうの幻想だって完全に断ち切って、今に至ってるんだけど、後はもう自分が出来る範囲で精一杯やってさ、天国の入り口で死んだ母とか犬(ぷにゅ)とか猫(ねぢ)が両手を大きく広げて「頑張ったね~~~」って迎えてくれる死に方をしたいと思うだけなの。
で、その精一杯を発揮できるのが、理屈じゃなく「音楽をやる」っていう姿勢なだけなのね。
実際、2000年代になってから、音楽業界の人が次々自殺したじゃん。
気持ち、わかんない訳じゃないの。
だって、団塊の世代の子供たちって沢山いて、その子たちが大学生くらいの時CDとか買いまくってた時代から、人口が減って、子供が減って、普通に先行き、どんな商品だって売れなくなる時代に突入されたら、見込み算だって役に立たないし、逆に見込んでた借り入れだって返せない。
小さくやるしかないなって、多分誰だって思う。

それでもやっぱり私は前を向いていくよ。
性分だね。
いくらでも引きこもりになれるし、食うに困ることは無いとは思う。
でもね、あたしゃ音楽捨てらんないよ。
超~~~楽しいもん。
自分売り込むのは相変わらず苦手だけど、とにかく曲作って「あ~、自分の才能~~素敵」って自己陶酔してさぁ、「感動しました」って言われたら、そりゃ辞めらんないって。

これからもだからやるんです。

生きていくんです。

与えられた時間を精一杯。

時に泣き、時に苦しみ、大いに笑い、人生を楽しむ。

それでいいんじゃないかな、と思う朝なのでした。

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