愛と追憶の日々Terms of Endearment

今日は1本の映画を紹介させてください。
邦画タイトル「愛と追憶の日々」。
1984年日本では公開されました。私はこの映画を母と二人で観に行きました。デビュー1年前です。
お母さん役のオーロラと早くにお父さんを亡くした娘エマの親子愛の話です。超簡単。
でも内容は複雑且つその時代の背景がしっかりと描いていて、今観てもよくできた作品だと感心します。
感心する部分はリアリティです。母と娘は同性だから、どうしたって母親は娘を理想の女性にしたいと、世界一幸せな女性になってほしいときっとほとんどの人がそう娘に望むでしょう。そして、娘と大人の会話が出来ようになると、まるで友達のように恋の話をしたり、心の葛藤を打ち明けあったりするのです。私と私の母も母の悪い癖を除いては、本当に仲の良い親子だったと思います。私が小さい頃から母は働いていて、祖父母に育てられたので、愛情不足のせいか、私は小学6年生まで夜尿症でした。バレエを始めて、徐々に大人になりたい願望が強くなった頃、枕に「今日は夜おしっこがでませんように」と10回お願いしたら、直りました。母と仲良くなるまでには相当な時間がかかったのです。

話を映画に戻しますと、母と二人でこの映画を観終えた後、私はすぐに考えたことがありました。それは、母より先に逝くことを望んだということです。母を悲しませたかったというのかな?とにかく小さい頃の私はとても勉強が出来て、バレエでも優秀で、自慢の娘だったと母は常に回りに自慢をしていました。でも、日本の家庭では余り無いのかもしれませんが、抱きしめてもらった記憶が全くありません。私との約束より、麻雀を選ぶ人でしたからね(笑)
だから、ガンになって先に逝くことになれば心配してくれると思ったのです。そして、誰よりも優先的にそばにいてくれると思ったのです。ただそれだけの理由です。
この映画を私は購入して、亡くなった母に会いたくなると観ることにしています。
それはもちろん、母を看取れて良かったという気持ちと共に、今も常に抱えている愛情に飢えた愛されることを渇望する自分を認めるためでもあります。
どんな母でも私はとても愛していたし、愛することは得意なんです。私流の愛とは全てを受け入れて見つめることだと、心寄り添うことだと思っています。男女の愛はまだよく分からないというか、経験が足り無すぎてなんとも言えないですが、母に対しての愛は永遠です。たまに生きてそばにいる想定で独り言を母に語りかけたりしています。記憶の中の母が応えてくれます。でも現実それは妄想であり、そばに母は12年前からいません。母に私が先に逝ったらどうする?と尋ねたことがあります。母は「そういうこともあるかもしれないわね」と応えました。「でもダメよ」とも。

映画の中のエマの結婚生活とその後の母との関係が現実とても似ていたのには笑えます。ダメ旦那が一向に良くならない様子を見ては、「大嫌い」と「あなたは幸せになれない」と何度も言っていました。結局別れたあと、母と急激に仲良くなった気がします。それから何年もしないうちに母は亡くなったわけですから、人生は残酷です。今母がそばにいてくれたら10のうち9の問題はどうでも良いと思えるでしょうね。

母は私に人からの愛され方を教えてくれませんでした。だから今も甘えたりすることに異常に抵抗があります。
でも徐々にですが、母と離れ、自ずと家族以外の友達との付き合いの方が長く強くなってきました。そして甘えることもだんだん出来るようになってきている気がするんです。

森さんや、けいちゃん、純子先生に甘えっぱなしになりそうで怖いですが、森さんは「辛くなったらいつでも電話して」と言ってくれます。けいちゃんのお母様サチコさんも「実家だと思っていつでも来なさいね」と言って下さいます。純子先生は「食べ物かって持っていくから待ってて」と家まで来て体の弱い私を看病してくれようとしてくれます。

そういうことに不慣れだった自分が変化しつつあることをとても感じた時無償に母に会いたくなり、この映画をまた観たという話です。

この映画には続編があります。
1996年の「夕べの星」です。ちゃんとオリジナルメンバーでこれまた強い親の愛を綴った物語になっています。
映画って、私にとっては生活の一部のようなもので、好きな映画は、私の人生に組み込まれてしまっているので、生きる上でとても大切なエンターテイメントです。

今後も素敵な映画を観て、傷ついた心の修正や、考え方の修復になれば素敵だなって思います。

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