私の愛する猫、くぬにがこの世を去りました。

ご連絡が遅くなり、ずっとくぬにの存在を知ってくださっている方には大変なショックを与えてしまうのかもしれないとは思いましたが、私の数少ない宝物を失ったことは知って欲しいというエゴから、このブログを更新いたします。

くぬちゃんは2003年、母やねぢ(猫)を立て続けに失った年、息子(覚えていないらしい)が近所の動物病院の掲示板で、とむとくぬにの里親募集を見つけてきてくれ、ぼろぼろだった私も、新しい命に出会いたくて、いそいそ出かけていきました。
5匹生まれたうちの3匹はもう引き取り手が決まっていて、とむとくぬにが残っていました。
私は先住猫ねぢにどこか面影を感じたくぬにに一目ぼれし、即決で受け入れることにしました。
猫用品は一式揃っていたし、ねぢは先天性の病気でずっと苦しんだので、里親を探していた飼い主さんに事情を話すと、喜んでもらってくれと言っていただきました。その後、「あーあ、この子は残っちゃうのね、でも父猫に凄くなついているからこのまま家の子にするわ」と言った子がとむです。
覚えていない息子ですが、その時「兄弟はなれちゃうのが可哀想だから2匹飼おうよ」といいました。私も同感でしたので、その旨を里親元さんに話すととても喜んでくれたのを覚えています。
やんちゃな男の子2匹ですから、毎日が戦争でした。
悲しんでいる暇なんてありませんでした。
そうやって14年間片時も離れず、私ととむ、くぬには生きてきました。
地震や、息子のことで、大変な時もなんだかんだ笑顔が絶えませんでしたし、なにしろ、ぷにゅ、まーくん(犬)ねぢ(猫)にとって良い飼い主ではなかったので、この2人には思いっきり幸せに暮らして欲しかったのです。

2度の引越しをしました。
くぬにはストレスに弱くその都度おしっこがでなくなりました。
それ以外は病気知らずの2人。
手の掛からない子。
逆に私は沢山慰められました。
そして常に1番に2匹の存在がありました。

昨年左の肩に脂肪のぷよぷよした塊が出来て、病院に行きました。その時細胞診では良性だったので、大丈夫と言われ、安心していたのですが、今年の8月から歩きづらくなって、その後下顎に硬い塊が出来て、四軒の病院で見てもらいましたが、どの病院ももう長くないとのこと。だとしても楽しくお別れできるように今までどおり過ごしておりましたが、11月に入ってから急激に悪化し、最期の日だけとても苦しんで身体から抜けました。
世の中にこんなに辛いことがあるのかと思いました。家族みんなが輪になって寄り添って見送りました。
火葬の前日お通夜のようなことをしました。
自分でも驚くほどお酒を飲んで、スパイダーさんに家に来てもらって、不謹慎ながら写真をいっぱい撮って、翌日素晴らしいメモリアルパークで荼毘に付しました。
とむも私も息子も毎日を乗り越えるのが精一杯です。
心の救いはくぬにが私たちを全面的に信頼し、治療にも懸命に応えてくれたことです。
ありがとう。
(このあと、くぬにの遺体の写真を掲載しますので、苦手な方はここまでにしてください)

まるで絶叫するように壮絶な死に方でしたので、お顔が最初苦しそうでした。
が、しかし、私が抱き、息子が抱くと、びっくりするほど穏やかな顔になり、まるで眠っているようでした。
幸せをくれてありがとう。
あなたを絶対忘れません。
愛してくれてありがとう。
没2017/11/26 21:22 くぬに、14歳6ヶ月と5日。


rest in peace, くぬに

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