ライバル

ライバルを辞書で引くと「好敵手、競争相手」などと出てきますけれど、ライバルは絶対にいたほうが良いと思っています。
私は随分長い間そのライバルの選択を間違えていました。負けず嫌いなので、絶対勝てる相手を選んでいたように思います。何に勝てるかというと、いかに前へ進んだか、とか、ライバルに「これはいただきだな。」というような、よくルパンに出てきそうなセリフを吐き捨てる相手。そんな風に勘違いしていたのです。

全然違います。それはライバルではありません。ライバルとは、互いに意識を高め、勝つというよりは負けたくない、置いていかれたくないという互いを成長させあえる相手のことだとやっと気づきました。そうしたら自ずと目の前がパァっと開けて、相手も明確で、その人を尊敬していることに気づきます。
幸い、私の周辺には刺激的な人が沢山います。それなのに、多分自分はMだと思うんですけど、もっとライバルを増やしたいと思っているのです。いろんな人に出会って、新しい何かを生み出すことこそ、これからの自分が一番幸せになれる道だと悟りました。

ところで話は全然変わりますが、生まれたとき未熟児だった息子は26歳になるまで血液型が不明でしたが、仕事上調べなくてはならず、病院へ行きました。
息子はなんと・・・・・・・・・・・・・・・AB型でした。
AB型がちょっとどうかな?って思っている理由があります。
私の本当の父親はAB型で、高校の国語の教師でした。2歳で離れ離れになり、父には既に12人の子供、兄、私と子沢山だったため、あまり愛情を注がれた記憶がありません。というより、顔も声も覚えていません。4歳くらいの時にお手紙つきの絵本をもらったことがありましたが、それ以降大人になるまで母にもどんな人なのか聞いた事すらなかったのです。大人になり父が同人誌の編集長をしていたことや、太宰治に憧れていたことや、酒乱だったことをちょっとずつ知るようになります。母曰く、顔はそっくりだそうです。あと酔ったときのバカさ加減も異常に似ているそうです。ちょっと観てみたいですが、父は母の通っていた高校の教師。祖母との方が年齢が近かったため、1985年私がアイドルでデビューした年の亡くなりました。それを聞いた時もなんとも思いませんでした。後に、母が父が残した小説を私に託しました。生きるヒントになればとのことでしたが、正直全く面白くありませんでした。同人誌、原稿両方とも。人望はあったようで、編集長をやっていたんだなと推測するくらいです。酔うと暴れて、サイドボードにコップか何かを投げつけ、反動で飛んできたガラスが母の喉に刺さり、離婚したと祖母が教えてくれました。時代も時代だったんでしょうが、どうしようもないと思います。小説がちょっとでも面白かったら考え方は全然違っていたと思います。その父がAB型。まぁ、酒乱ってところと物書きするところは息子引き継いでます。
母が再婚した相手もまたAB型でした。私のことをめちゃくちゃ可愛がってくれ、ピアノ、バレエの発表会のたびに号泣していました。自力でエリーゼのためにを弾いた時も自宅で号泣。そういう意味で本当の父親はこの人とと思っています。サラブレッドというピアノの伴奏をしてお客様に歌ってもらうバーを経営していました。ピアノは独学で覚えたそうです。上手かったです。ジャズっぽかった。それと、その名の通り、競馬の予想もしていました。G1になると壁にカレンダーの後ろに黒のマジックで自己流の予想をたててお店に貼っていました。パパみたいなABなら良いかもしれません。超がつく真面目な人でしたが、毎晩の母との喧嘩はしんどかったです。
次が私が23年前に離婚した元旦那さん、この方もAB型。良い悪いは別として、気分の良いときと悪いときの人格がまるで違うし、真面目なときと、心ここにあらずな時との差が恐ろしく激しかった。自分のメリットになることに関してだけは常に超良い人でしたけど・・・
それが息子、この父親にくりそつなんです。やばいです。これは一緒に時を過ごした人にしかわからないヤバさです。なので、息子本人も私も本気で父親とは違う視野、次元で生きるとそう決めました(笑)。

さてさて、我が家のAB型騒動、息子本人自分がAB型だと知って落ち込んでいます。あんまり触れないであげてくださいとブログに上げる母。
これも治療の一環です、と思って応援してください。

たまには音楽以外のお話も面白いかと思いまして、綴ってみました。
おしまい。

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