アキラカニキワメル

ブログの更新が減ってしまって、大変申し訳ないです。このところ、仕事終わりにどっぷり音楽の世界に浮かんでおりまして、自分のことまで手が及ばず、これはいいことなのか、はたまた、そういう時期というだけなのか。いろんな意味でネット社会とアナログ生活の線引きを考えています。私みたいなタイプはどんどんいろんなソーシャルとか利用して日常をどんどんUPしまくって宣伝的な活動をしないといけないとは思うんですが、ここに来て、自分の努力以外での評価の方が面白い感じなので、身を委ねることにしようかなと思っています。

表題の「アキラカニキワメル」ですが、これは作家五木寛之氏の「あきらめる」の解釈です。諦めるとは、その事象を明らかに究めること。五木氏はもう充分に人生の苦いを経験されて、沢山本にして出版されています。五木氏の本から親鸞に興味を持ち、幾度となく落ち込むたび、彼の本に手を伸ばしました。そしてその都度救われます。五木氏自身私が知る限り3度のうつ病を患い、自分の力で治癒力を探し出し、それを紹介してくれています。ですので、大変勉強にもなります。彼の本に出会ってから、私は常に「アキラカニキワメル」と共に生きています。

英語の勉強ばかりしていて、少し音楽がおざなりになったなと思っていたらやたら怒りっぽくなっていました。ここ数日音楽を聴き続けているのはそういう理由で、顔つきもしかめっ面から、わりかし可愛いお目目に戻りました。結構そういうものではないでしょうか。

で、自分の音楽活動に対し「アキラカニキワメル」時が来ていると感じております。
明らかに究めたことがいくつかあって、でもそれは変動的で、流動的な感情に基づいたことだから、ここでは口にしないけれど、ある意味自分を客観的に正確に捉える作業は自分にとっても、私に関わる人にとっても大事なことだと思う。それに決してネガティブな感情ではなく、踏まえての先へ歩き出すポイントになることだから、時間を惜しまず「アキラカニキワメル」してます。

新曲が作りたくなってきている時期でもあります。HARDflowerの次は踊れるアルバムを作りたいってずっと思ってました。弾き語りのえりちゃんは明らかに天井が低いです。ベン・フォールズになりたかったけど、手が小さい。和音が掴みきれないとかジレンマになって、歌に集中できないのは良くない。続けるけど、踊りながら歌う、森下恵理時代みたいに汗だくでライブやりたくて。もともと踊りが大好きで、30代の頃はクラブ行ってました。テクノ。お酒なんか呑まなくても凄いhighになってました。そしてPOPなメロディ。これ大事。それとずっと鳴らしたかった音。コレだけ構想が出来ていたら、後はじっくり作るだけ。私の場合意識しなくても唯一無二になってしまう。音楽だけじゃなく、例えばバレエとか、卓球とか子育てとかも誰かの真似は絶対に避けてしまう。だって恥ずかしいんだもん。お里が知れるっていうか。。。真似が全然平気な人が居ることを知ったときは本当に驚いたくらい。
でも深く考えると、私も丸っきりオリジナルではないから、無意識に誰かの真似をしてるんだとは思うけど、本当に無意識だから、後々昔から知っている音楽を久しぶりに聴いて、あっ、コレに影響されたんだって知ったりするもんね。恥ずかしくはなるけど。。。

今思う真似はできないけれど、居てくれて本当に助かる人はMadonnaと五木寛之氏です。Madonnaは日本に全然来てくれないというか日本が呼べないというか、そんな感じだから、しょうがなくyuoytubeで間接的に与えられた視点で観ていますけど、「Sticky & Sweet Tour」はマジ泣ける。アルゼンチンでのパフォーマンスがDVDになっているようですが、買おうと思う。まず曲順がハンパなく良い。で、マドンナの(もうカタカナ)枯れ具合がハンパなく美しい。私のバレエの先生に似ている。千田雅子先生ね。世界の母(マドンナ)だと思った。エッチなことしたり言ったりしてるけど、彼女の根底に品みたいのがあって、下品さえも芸術にする。そこが好き。顔はちょっと怖いけど、ハートは物凄く大きい人だ。ヴォーグの振り付けがたまらない、などなど。

次のライブでは彼女のカバーもやるからね。iPod使って。うふふ。

長くなりましたが、最後までお読みくださってありがとうございます。理屈っぽい婆にならないように、日々努力してまいりますので、今後とも何卒ヨロシクです。

I know I can do it better!!!

コメント

人気の投稿